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フロントスタッフ趣味語り 関西本線の歴史 第3回

今回も、当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。

関西本線の近代化1

参宮急行電鉄の開業により大きな痛手を受けながらも、関西本線は

参宮線と連絡をした伊勢神宮への参拝客輸送に力を入れ、有名な

姫路-鳥羽間の快速列車や、名古屋-鳥羽間の直通列車(現在の

快速みえ)の運転等が古くから行われた。 又名機C51形SLの投入

により、快速列車のスピードアップも行われた。

しかし運転本数や設備面に対する見劣りはいかんともしがたい物だった。

昭和30年代には全く電化の計画が無かった為積極的にDC化が行われ

昭和36年3月にキハ35系が大量に投入された。(このキハ35系は大都市近郊の非電化区間輸送の為に開発されたロングシート3扉のいわゆる

初の通勤型ディーゼルカーでグローブ形ベンチレーターと外吊ドアが特徴、此れは使用線区のホームの高さから乗降口にステップを設けた関係で台枠を切り欠く必要が生じ、車体強度が不足する事となった。

この為側出入口は強度確保の為戸袋を設けず、扉は上部のレールから吊り下げられる「外吊り式」が本格採用された。

この気動車は奈良機関区(現在の奈良電車区)に配置され此の関西本線でデビューした

後に房総地区の千葉気動車区、木更津支区(現在の幕張車両センター木更津派出)に配置され総武本線・房総西線(現・内房線)・房総東線(現・外房線)・成田線・鹿島線・木原線(現・いすみ鉄道)・久留里線で運用され、

又500番代は同系の寒地向け車両で押込み形ベンチレーターが特徴で新潟地区の越後線・弥彦線に投入され大都市近郊区間の近代化に多大な功績を遺した。その後弥彦線、越後線の電化によりこれ等の車両は高崎所(

キハ35形のみ)・茅ヶ崎区・木更津区へ転属となった。


関西本線天王寺駅で交換するキハ35系快速と天王寺始発の普通列車

 次回はさらなる近代化について語らせて頂きます。

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