フロントスタッフ趣味語り 関西本線の歴史 第7回
今回も当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
関西本線の近代化5
1962年(昭和37年)には1000馬力級エンジン2基を搭載した純国産幹線
ディーゼル機関車DD51形が登場した為、本形式の製造はその翌年の
1963年限りで終了し、その後は主要幹線から順次DD51形が導入され
本形式は比較的軽負荷な運用の多い亜幹線に転用された。
昭和50年代に入ると電化の進展もあって多くが廃車となった。
最後まで残った寝台特急運用は、この紀勢本線の寝台特急紀伊の牽引
であった。しかし1979年6月には上り列車のみDD51形に置き換えられ、下り4003列車の亀山-紀伊勝浦間及びその回送である4003列車
の紀伊勝浦-新宮間についても亀山機関区配置機の運行終了直前の
1980年(昭和55年)2月にDD51形に置き換えられた。
昭和48年10月1日のダイヤ改正で宅地化が進み人口密度の高い
奈良-湊町間がようやく電化され、101系、113系電車が投入
(後に両形式の老朽化により101系は103系→201系へ、113系は221系へ置き換えられる)
され大都市近郊の路線らしい姿に変貌した。
そしてその前日9月30日をもって、長らく活躍したD51形SLの
DD51形への置き換えが完了し、電車投入と合わせて
関西本線はようやく近代車両の走る本線らしい姿になった。
一方旧型客車が走る名古屋-亀山間も昭和57年5月に電化され、C57からバトンを受け継いだDD51形牽引の客車列車の113系化により電車化された。(113系は後に165系→213系→313系へ置き換えられた)
尚、関西本線の末端区間でもある加茂-奈良間は昭和59年10月1日にまず
木津-奈良間が電化し(同時に奈良線も全線で電化)
残った加茂-木津間も昭和63年3月13日に電化した。
又、非電化区間でもある亀山-加茂間も1993年8月1日に国鉄型
ディーゼルカーキハ58形から新鋭キハ120形に置き換えられた。
以上で関西本線の歴史紹介を終わらせて頂きます。
またのご機会に他の路線についても語ろうと考えていますので
その時は、よろしくお願いいたします。