フロントスタッフ趣味語り 阪和線の歴史 第2回
今回も、当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
ノンストップ超特急について
和歌山迄の開業当初は、阪和天王寺-阪和東和歌山間の61.2㎞を
「急行」(途中鳳駅にのみ停車)が65分
「直通」(普通列車の内阪和天王寺-阪和東和歌山の全区間を走行する列車)が
80分で結んでいたが同年10月ダイヤ改正で急行55分
直通75分に短縮する等、スピードアップを積極的に行った。
その後も路盤の安定に伴ってスピードアップを繰り返し
1931年7月に阪和和歌山-阪和和歌山間を48分で走破する
「特急」の運転を開始した。
この特急は、1933年12月20日改正で
阪和天王寺-阪和東和歌山間45分運転へスピードアップされ
「超特急」に改められた。
この時の表定速度81.6km/hは、営業運転される定期列車としては
1950年代以前は国内最高記録で、戦後国鉄特急「こだま」号が
東京-大阪間6時間40分運転(表定速度83.46km/h)を
開始した1959年まで、実に26年間も破られない超絶的レコードとなった。
同時期、日本資本で経営されていた南満州鉄道の有名な特急「あじあ」号
(1934年運転開始)は蒸気機関車牽引の客車列車ではあるものの
標準軌路線での運転で表定速度82.5km/hであったが
阪和超特急は狭軌線ながら其れにも匹敵する水準に達していた。
阪和電鉄の線路条件は概ね直線で良好であったが、県境の山中渓付近には
急曲線・急勾配区間が有り、振り子式車両(車体傾斜式車両)等無い当時としては、
平坦区間で極限の高速運転がなされた。阪和間45分運転を行う事は電車にも
大きな負担をかけ、駆動歯車は鋸歯状に成る程消耗したという。
今回はここまで、次回は阪和線の超特急以外の列車について語らせて頂きます。