フロントスタッフ趣味語り 阪和線の歴史 第3回
今回も当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
超特急以外の列車
ノンストップ列車が超特急となった事で特急は一旦消滅したが
1935年10月1日に国鉄和歌山線と阪和電鉄線が交差する
阪和中ノ島駅(現・紀伊中ノ島)が建設され、和歌山線のガソリンカーと連絡する超特急と急行のみ同駅に停車させるダイヤ改正を行った際
所要時間が48分に伸びた
超特急を特急に改める事で復活した。
その後、同駅への停車は1937年6月改正をもって全ての特急・急行が停車するようになった。
阪和電鉄では他にも多種多様な列車種別を使用していたが
他事業者に類の無い種別として「直急」という物が有った。
此れは直通・急行を意味した種別で、準急が起点側で速達運転・終点側で
各駅停車であったのとは対照的に、直急は起点側が各駅停車・終点側が
速達運転であった。
元来阪和電鉄では全区間を走破する普通列車を「直通」と呼称しており、1936年改正でそれまで阪和天王寺-阪和岸和田(現・東岸和田)間の
区間運転であった普通列車の一部を阪和東和歌山まで延長運転して「直通」とした際に、延長区間を急行運転とした為、先述した停車パターンの列車が誕生する事となった。
しかし翌37年6月のダイヤ改正で直急は元の阪和天王寺-阪和岸和田間の普通に戻された為、この種別は短命に終わった。
速達運転をした臨時列車としては阪和浜寺(現・東羽衣)までノンストップの
臨時急行や春季・秋季の行楽シーズンに運転された「ハイキング列車」等があった。
今回はここまで、次回は南紀直通列車について語らせて頂きます。