フロントスタッフ趣味語り 阪和線の歴史 第4回
今回も当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
南紀直通列車
大正末期から昭和初期、和歌山県内では紀勢西線の建設が南進する過程で
南紀地域が新たな観光地として開拓され始め
南紀の景勝地でもある白浜温泉が注目される事になった .
其処で当時の鉄道省大阪鉄道局(現在のJR西日本大阪支社)は阪和間を
走る南海と阪和電鉄の両社に鉄道省の客車を使用して大阪から紀勢西線へ直通する
南紀観光列車の運行を打診した。
阪和電鉄は此れを受諾したが
南海は自社からのみの直通を希望し、難色を示した。
この為、直通運転は早期実施を求める世論も有って
当初は阪和電鉄単独で行われる事になった。
直通運転は1933年11月4日より開始され
一般公募により「黒潮号」と命名された。
当初は紀勢西線が紀伊田辺止りの為、地元の明光自動車 (現在の明光バス)が
白浜迄の連絡バスを運行したが
1933年12月には 紀勢西線が紀伊富田駅迄延伸、黒潮号も白浜温泉の玄関口で有る 白浜口駅(現・白浜駅)へ足を伸ばした。
阪和電鉄線内ではノンストップ超特急と同様に45分運転 で2時間9分運転(上り列車に関しては紀伊田辺に停車し所要2時間12分)
紀勢西線でも東和歌山-白浜口間ノンストップという
単線で急カーブが多く尚且つ当時ローカル線規格であった同路線
の蒸気機関車列車としては限界一杯の運転が行われ、天王寺から白浜口迄の170km弱が3時間で結ばれた。
1934年11月17日からは南海鉄道難波駅発の黒潮号も運転を開始し
両社から直通の客車が東和歌山で併結され、共に白浜へ向かう様になった。
又この改正で新たに「日曜列車」「平日列車」と呼ばれる南紀直通列車が増発され
18日日曜、19日月曜よりそれぞれ運行を開始した。
両列車は1935年3月29日の紀伊椿駅(現・椿駅)延伸で同駅迄運行区間を
延長したが、1936年9月30日の周参見延伸の際には効率化の為白浜口駅で
阪和・南海直通客車を切り離す運用に変更されている。
土曜に大阪を発車し日曜に返ってくる黒潮号は週末旅行に最適で、当時の
関西方面の人々からは大好評であった。
しかし日中戦争の勃発によりこの様なリゾート列車は不急不要の贅沢とされ
黒潮号の定期運行は1937年12月のダイヤ改正で廃止された (季節臨時運転は継続)。
日曜列車・平日列車も統合され、阪和天王寺・ 難波駅-周参見駅間1往復に削減された。
1938年9月7日の紀勢西線江住駅延伸の際には往路4列車が白浜口迄の
運行となった。
その後、1940年8月8日の紀勢中線編入で運行区間が新宮駅・ 紀伊木本駅(現・熊野市)まで延長され、本数も3往復に増発されたが
この時点で既に阪和電気鉄道の南海併合が決定していた事もあり
乗入れは阪和のみで南海との直通は廃止された。
今回はここまで、次回は今回出てきた「黒潮号」について語らせて頂きます。