フロントスタッフ趣味語り 阪和線の歴史 第6回
今回も当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
黒潮号の 成功と廃止
黒潮号のダイヤ設定は、土曜の午後に大阪を発って夕刻白浜着
日曜夕刻に白浜を発って夜大阪へ戻るもので、週末の1泊温泉旅行に最適であった。
故に当時の関西人からは大好評で「黒潮列車」の通称で広く親しまれた。
多客時は定期運行とは別に「臨時黒潮号」と呼ばれる日曜日日帰り列車が設定され年始1月1日から5日迄は毎日運転された。
しかし、此の華やかな時期も長くは続かず1937年7月の日中戦争勃発に際し
リゾート列車で有る黒潮号の運転は、不急不要の贅沢とされた。
此の為、黒潮号は同年12月のダイヤ改正で廃止され短い歴史を閉じた。
(年始5日間の臨時黒潮号は1940年までは継続)
但し黒潮号以外にも「日曜列車」「平日列車」と呼ばれた南紀直通列車が
黒潮号と相前後して毎日運転される様になっており
こちらは黒潮号廃止後も阪和・南海線内電車牽引で存続した。
同列車は阪和電気鉄道の南海合併が内定した1940年8月改正で
阪和電鉄単独の直通運転に変更され、戦時中の1943年に一旦廃止された。
阪和電鉄は南海合併を経て1944年に国有化され阪和線となった為
戦後は紀勢線と系統を一本化する事となった。
南海との直通は1951年に復活したものの普通列車が1972年に黒潮号の後継となる急行列車であった「きのくに」としても、最終的には1985年に廃止されている。
2021年現在、阪和線には戦前の「黒潮号」の流れをくむ優等列車として
特急「くろしお」が運行されている。
今回はここまで、次回は国有化後の阪和線で活躍した車両について語らせて頂きます。