フロントスタッフ趣味語り 阪和線の歴史 第9回
今回も当館フロントスタッフで鉄道に詳しい者が語らせて頂きます。
ロコ1000形について
50t級B・B軸配置で13m級箱型車体の電気機関車で昭和初期の私鉄電機機関車としては大型の車両である。
1930年の阪和天王寺(現・JR西日本天王寺)-東和歌山(現・JR西日本和歌山)間全通に備え
まず2両(ロコ1001・ロコ1002)翌1931年(昭和6年)に1両(ロコ1003)が東洋電機製造・日本車両製造で製造され
その後、南海鉄道(現・南海電鉄)との合併後1942年(昭和17年)に(ロコ1004-ロコ1006)が追加新造が計画・申請されたが
結局は1両分しか許可が下りずその後も再度3両申請されたがこちらも認可が下りなかった。
此の為、戦時中の増備機は資材難もあって国鉄買収後の1944年(昭和19年)6月に1両(ロコ1004)が製造されるに留まった。
車体は前面デッキを持たない箱型で,かつ溶接を多用した構造の鋼製車体を備える。
本形式の大きな特徴の1つに、独創的なデザインが有る。
直径1220mmの動輪によってやや腰高なきらいは有るが、前面と屋根・側板をRで連続して接合し要所に補強桟を配した「半流線形」風のデザインは1930年という製造初年からは望外の進歩的スタイルで2基の大型パンタグラフと相まって戦前日本の電気機関車の中でも事に美しい車両とされている。
愛好者からは同じく1930年に制作された愛知電気鉄道(現・名鉄)デキ400形と並び、戦前機の日本車両製造が手掛けた私鉄向け箱形電気機関車の双璧と評された。
最初に製造されたロコ1001・ロコ1002では小型窓を備えていたがロコ1003では窓の寸法が拡大され明朗な印象が強まり、より洗練されたデザインにリファインされている。
最も、最終増備機であるロコ1004については戦時統制経済の下での製造で有る為
ロコ1003の設計を基本にしつつも随所の工作が大幅に簡略化され、各部の補強桟無しでのっぺりとした印象を与える全溶接車体となっている。
今回はここまで、次回もロコ1000形について語らせて頂きます。